桜井貞子さんと佐藤さんのコラボレーション
紙を織り込んだ紙布

小林有希さんと佐藤さんのコラボレーション
紙で作ったコサージュ

李朝の門扉

バオバブの実

ナファナ族の仮面をかぶる佐藤さん

中近東コーラン
(2)兼松泛香(1909~1976)
茶・花・書を能くす。書においては日展特選受賞。建中会主宰。

佐藤友泰さんのWebサイト
http://aitech.ac.jp/~wasi/

叩解のための木槌
(6)コラボレーション
異なる分野の人や団体が協力して制作すること。また、制作された作品や、事業、研究等のこと。
大柳久栄さん製作の佐藤さんの紙帖
愛知県わかしゃち国体 天皇杯・皇后杯の手漉き表彰状(平成6年)

橋本恵吏さんと佐藤さんのコラボレーション

双子の弟、公治さんの書『生』

群馬の石工さんに依頼して作ってもらった『双子地蔵』

農具草刈鎌
曲線が美しい

ピグミー族のタパ
ヨーロッパの羊皮紙
(12) 地主悌助(1889~1975)
洋画家。坂本繁二郎に師事。小林秀雄、白洲正子等が高く評価。後年は石や紙だけをひたすら静謐な画面に描く。 

柴崎幸次さんと佐藤さんのコラボレーション
灯りをともすと立体的に見えるが、実は紙質を区別して貼り込むことでその効果を出している

軒瓦・平瓦・泥塔
白鳳~江戸時代

(3) 古田行三(1922~1994)
紙漉き職人。重要無形文化財保持財団の本美濃紙保存会二代会長。

紙の原料
楮、三椏、雁皮

(7) 書票
蔵書票とも。本の見返し部分に貼って、その本の持ち主を明らかにする小片。国際的にはエクスリブリス(Exlibris)と呼ばれる。
(13)) 紙漉きさん
地元では“お百姓さん”のように紙漉き職人のことを、こう呼び慣わすのかと思ってその時は聞き流した。しかしどうもそうではなく、この短い言葉に佐藤さんの日頃の想いやご自身の立ち位置がそのまま表現されていたのだと、後になって気付いた。

生成り色なり 佐藤友泰(大学職員)』

                        服部清人 

(10)プリミティブアート
原始美術と訳される。これには先史時代の美術の他に未開部族社会の美術も含まれる。印象派以降のフォービズム、キュビズム、表現主義等の20世紀芸術運動に大きな影響を与えた。

アフリカブロンズ像
まるでジャコメッティ

(1) 円空(1932~1695)江戸前期の行脚僧。美濃に生まれる。全国に木造の「円空仏」と呼ばれる独特の仏像を、生涯に12万体造像したとされる。
漉き上がった紙

裂織
紙を織り込んだもの。

(9) アニミズム
生物、無機物を問わず、すべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。
アフリカの仮面
(11)ジョルジョ・モランディ(1890~1964)
イタリアの画家。独自のスタイルを確立。生涯特定の画派や運動に属さず、静物画を中心に自己の内面をひたすら探究し続けた。
(4) 小原村
愛知県北部の村。2005年に豊田市に編入。室町時代より紙の産地として知られた。戦後、この地で藤井達吉により工芸和紙への展開が計られた。

漉いた紙を天日干し

(8) 豊田市民芸館  
愛知県豊田市にある博物館。1983年第一民芸館開館。日常生活に関する民芸品を保存、展示している。
(5) 愛知工業大学 
1912年創立。1959年大学設置。愛知県豊田市に本部。工学部・経営学部・情報科学部等を開設。
兼松家より受け継いだ掛軸の数々
車箪笥

木造観音立像
中国。全長2m

蔵の扉
金銅観音立像
 江戸時代前期の僧侶であり仏師でもある円空(1)は生涯に12万体の仏像を製作すると発願し、それを達成したと言われている。重箱の隅をつつくようで、夢のない話を申し上げるが、この12万体というのは一日10体を33年間コンスタントに作り続けてやっとたどりつける数である。30歳前後から製作を始め、64歳で入滅するまでの期間、一日の時間の大半を仏像造りに没頭していないと、とても達成できる数ではない。
 いや、別に円空伝説の揚げ足をとろうということではなく、どうしてそこまでひとつの事に没頭できるのかが不思議で、それを書きたいがためにちょっと遠回りをしてしまった。当時の風潮からして、画工や陶工は勿論、仏師にしても依頼主からの注文を受けて製作をするというパターンがほとんどで、自発的な情動によりただひたすら、それも12万体(多分それに近い数は実際に造ったのだろう)も造っちゃうと言うのはあまりに常軌を逸している。円空にとって仏像製作は生きていくための糧を得るなりわいではなく、生きることそのものであったということなのだろう。

 佐藤友泰さんは幼い時から書を続けてきた。名古屋の書家で茶人でもあった兼松泛香(2)師から授かった“士善”という立派な雅号も持っておられる。それが高じて、「自分で漉いた紙に字を書いてみたい」との思いから美濃紙の古田行三(3)に師事した。
「古来の技法を忠実に継承し、機械に頼らず自然素材のみで和紙を漉くことをずっと守ってやってきました」
“しぜんかみすきこうぼう”(雅号の士善と自然、空海が好きだったから弘法と工房をかけての命名)を現在の愛知県北部の小原町(4)で開設したのが1991年。以来この地でひたすら紙を漉いてきた。ただしこれは生計を立てるための仕事ではない。愛知工業大学(5)の職員というのが本業である。サラリーマンとして生活の糧はそこで得ている。したがって毎朝定時に出勤し、冬場は遅くに帰宅してから紙漉きの仕事をする。家にテレビはない。帰宅後はテレビでも観てのんびりなんて、そんな時間はないのである。紙が漉きあがるまでの(晒)→〈煮熟〉→〈あく抜き〉→〈叩解〉→〈紙漉〉→〈圧搾〉→〈板付〉→〈板干〉という工程はほぼ一週間が単位となっているため、毎日成すべきことがあるのだ。それを冬の間は毎週繰り返す。そうやって18年を過ごしてきた。その足跡を記録した年ごとの紙が分類されてコンディションレポートとともに保存されている。
 「紙は売らない」のが佐藤さんのモットーだ。しかし気に入った人にはあげてしまう。そんな絵描きやデザイナー、造形作家などとの交流によるコラボレーション(6)作品が佐藤さんのコレクションの一角を占めている。同様に版画家に依頼して作ってもらったり、折にふれて蒐めた書票(7)が今や1万枚を越えた。
 紙を通じての交流は次第に広がり、2009年にはフランスのパリとボルドーで『和紙・伝統と現在』展を開催。2011年にはチェコのプラハでワークショップに参加される予定だ。国内でも伝統的な和紙作りを次の世代に伝えていきたいという思いから豊田市民芸館(8)での『小学生の和紙作り』や岐阜県飛騨金山での『ぎふ・こども芸術村の和紙作り』に参加し、子供達に和紙作りを指導されたりしている。平成6年に開催された愛知県わかしゃち国体の表彰状を始めとし、依頼に応えて多くの仕事も提供してきた。
 「紙を漉いてきたおかげで多くの方に巡り合えたし、いろいろな場を用意していただけました」おかげでテレビや雑誌などにも取り上げられ、知人がそのまた知人を連れてきたりして、段々と仕事が中断されるようなこともでてきた。「ありがたいのですが、僕は一人で仕事をすることが好きなので・・・」とも苦笑される。佐藤さんにとって紙を漉くことは飯のタネでないばかりか、売名のためでもない。生活そのものなのである。だから、その大事な時間が割かれてしまうのはちょっと困る。と、いったところなのだろう。穏やかで優しい口調を聞けば何でも許してもらえそうな気がしてくるが、どっこい譲れない頑固な信念があるからこそ、こんな姿勢が保てるのだと想像した。
 人間以外の動物は生きていくために必要なこと以外はほとんどしない。人間だけが生存や種族保存とはほとんど関係のない無駄な行いを為す。ところが純粋であればあるほどそうして生み出された物は概して美しいのである。冒頭に円空を持ち出したのはこんなところで繋がっているからだ。ただし、円空のアニミズム(9)とはまた異なった何かが佐藤さんの根底にあるように思われるのである。

 観測史上最高の暑い夏となった今年の9月。やっと少し秋の気配が感じられるようになった日に工房へお邪魔した。実は佐藤さんには双子の公治さんという弟さんがいる。最初のうちは一瞬見分けがつかないこともよくあったのだが、お付き合いも15年以上となると、さすがに最近は間違えることはない。その公治さんも書と篆刻をされており、能成という雅号を持っておられる。玄関にはその能成さんの『生』が掲げられていた。双子の兄弟というのはやはり普通の兄弟に比べて絆が固いようだ。お二人でおられるとそのことがよくわかる。
「弟も物が好きでいろいろ蒐めてきたけれど、昔からお互い民芸は好きですね」と、おっしゃりながら、時間の経過した大きな木工品に見入る。
「こんな肌合いが好きだなあ」水をくぐって木目が浮き出た板や臼の木肌は、物言わぬともそこに経年の味わいが現れている。「そこから発展してアフリカの仮面や造形が好きになりました」一見、紙の持つシンプルな味わいとは次元が違うようでいて、遠くで繋がっているように感じられる。近年、ピカソやジャコメッティを始めとした世界中の多くの物作り達がアフリカを始めとしたプリミティブアート(10)に啓発された。高度で複雑化して頭でっかちになってしまった現代の美術を鉈でぶった切るような衝撃があったのだ。東西を問わず、心ある作り手達の多くは皆、その洗礼を受けたのである。「何か響いてくるものがある」佐藤さんは理屈をこねる方ではない。感じ取ったものを何枚ものフィルターで濾し、十分に咀嚼して、そして何でもなかったようにさらっと自分の仕事に昇華する。佐藤さんにとってのライフワークは紙を漉くことである。蒐集はそれをさりげなく支える調味料のようなものか。
 「夏の間は出歩いて、色々なモノを見たり、求めたりします」
モノとの出会いを大切にしながら、先々で買い求めた結果が部屋の中に雑然と収まっている。足の踏み場もないといった様相だ。
「世の中には美しいモノがたくさんあります。僕の仕事もそういったモノに連なるようでありたいと思っています。だから自然と時間を経た古いものへ目がいきますね」
 繰り返すが佐藤さんの口調は実に穏やかで優しい。衒ったところのまったくない方だということは一度接すればすぐわかる。ご自身の漉く紙そのものといっていい人だ。だからなのか、そのコレクションに一貫性とか何がしかの意味とかを見出そうとしても、これはなかなか難しい。佐藤さんのコレクションはその時々の道標がいつの間にか数を増し、形成されたものであるのだろう。

 円空のことから始めたこの一文であるが、“ひたむきさ”という点では違いはないものの、佐藤さんはエネルギッシュなイメージが前に出る円空とは、ちょっと違ったタイプの作り手であることは明解だ。むしろ、机上のありふれた瓶や水差しといった静物を飽くことなく描き続けたイタリアのジョルジョ・モランディ(11)や、石や紙をひたすら描いた日本の地主悌助(12)を想起させるが、漉いた紙に名を記すようなことをなさらない点においては、作家というより、工人や職人のありかたに近いのかもしれない。ところが、
「紙漉きさん
(13)の邪魔にならないようにしたい」とも、佐藤さんは言う。この仕事を職業としている方々への配慮から出た言葉であるが、どうも佐藤さんご自身はそういった紙漉き職人の仕事を尊重しつつ、ご自身の仕事とは一線を画しておられるようだ。
 「いい仕事を遺したいですね」最後に佐藤さんが言った。作家であるか職人であるか、そんなことはたいしたことではない。只々いい仕事を遺すこと。そのことに徹するご自身への再確認のようにも聞こえた。
 すっかり実った田んぼの向こうにある小高い山の、そのまた向こうにはまだ夏の白い雲が浮かんでいた。しかし山里には確実に秋の気配が近づいている。佐藤さんの冬の仕事がまた近づいている。 
                   了
    


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