『さよなら酔いどれ天使たち』

                                       服部清人

 
 「おい、もう一軒だ」
「よし、いこういこう。今夜は飲むぞ」
「まだ飲むつもりなの、もういい加減にしなきゃ。私お金もってないわよ」
「金?金の心配してんのか、金なんか誰かが持ってる、気にするな」
「そうね、今夜はパアッとやる約束だものね」
「そうさ、新宿は俺たちを引き止めてるぞ」

 学生時代を同じサークルで過ごした六人。この六人で何度も街へ繰り出した。
「泰男!歩きながら眠るんじゃない。俺の陽子にもたれかかったりすると承知しないぞコラッ」
「坂本、言ってくれるじゃないか、いつから陽子がお前のものになったんだ?なァ陽子」
「さあ、どうかしら。坂本君は君よりマシよ。泰男ちゃん」
「なんだァ、もう一度言ってみろ陽子、オレはなァ一年の時からずっとずっとお前に惚れてたんだぞ」
「まァ、光栄だわ、でも駄目よ。私は坂本君のものでも泰男ちゃんのものでもなっくってよ」
「じゃあ、いったい誰のものなんだ、まさか井上とできてんじゃないだろうな」
「ぼぼぼくは、女には興味ありません!」
「おいおい、ついに井上の本音がでたぞ!山下、お前気をつけろ、前から井上のお前を見る目つきがへんだと思ってたんだ」
「田中ァ、そういうお前も陽子に惚れてたんじゃないのかァ」

 六人はお互いの肩につかまらないと歩けないほどに酔っていた。新宿の人通りは夜の十二時を過ぎても一向におとろえない。六人は人並みをかき分けながら、どこへ行くというあてもなく前へ進んだ。
「私はね、私は誰のものでもない、男と男の間を飛び交う可憐な蝶よ」
陽子が言うと、歩きながら眠りだしていた泰男が突然叫んだ。
「そうだ、俺たちは蝶だ!」
「俺たちは都会を飛び交う六匹の蝶だ!」
行き交う人がみな振り向いた。
「ちょっと待ってよ。私が蝶なら、あなたたちは花。花の周りを華麗に飛び回るのが私。私はそうやって生きて行くわ」
陽子が大声を上げるたびに息が白く立ち上った。三月の初旬、特にその晩は冷え込んでいた。六人とも充分に酔っていたが、誰からともなく結局また店に入った。

 小さな店の中は何人もの男たちがネクタイを緩め、赤い顔をしてあちこちで気炎を上げていた。煙草の煙が人の動きにつれてゆっくりと揺れるのが見てとれた。六人は一番奥の席に腰を落ち着けた。
「よし、乾杯しよう、乾杯だ!」
「乾杯って今度は何に乾杯だ?」
「俺たちの未来にだ」
「洒落たことを!こしゃくなヤツめ」
その日何度目かの乾杯だった。しかし、みんな配られたジョッキ一杯のビールも飲み干せず、結局早々に切り上げた。

 最寄の駅までは一緒に歩いたが、陽子は別方向のホームで下宿に帰っていった。田中は線路をはさんだ向こう側で手を振る陽子の姿を眼に焼きつけた。泰男と坂本は田中のアパートに泊まることになった。どこをどうやって辿り着いたか定かでないが、途中、泰男が青い顔をして道端で吐いているのを田中と坂本はぼんやりと見ていた。田中はこんな場面が以前にもあったような気がしていた。
 やっとのことでアパートの部屋に転がり込むと、二人とも崩れ落ちるように畳の上でいびきをかき始めた。田中は押入れから、荷造りしてあった替えの布団をもう一度だして、二人に掛けてやった。そして、台所の蛇口から水を出して顔を洗った。寝静まったアパート全体に水が弾ける音が響いた。頭がズキズキと疼いた。狭い部屋に三人で横になると、随分と窮屈だったがその方が暖かいように思えた。部屋はピンとした冷気が張り詰めていた。泰男と坂本のいびきが交互に聞こえる。卒業後、泰男は東京の小さな印刷会社に就職することになっていた。坂本は落第して留年するらしい。最初は「辞めてやる」と息巻いていたが、田舎の両親の説得と温情でもう一年頑張るということに落ち着いたようだ。井上と山下は故郷に帰って家業を継ぐと言う。陽子は北海道の札幌でテレビ局の営業をすることになりそうだと言っていた。「本当はアナウンサーを目指してたのに」とみんなには説明していた。陽子の故郷は福岡だ。日本中を就職活動で行脚し、なんとか一社だけ合格を出してくれたのが、札幌のテレビ局だったということだ。
「そんな遠いところへ行ってどうするんだよ」
田中は向かい側のホームで手を振る陽子にそう声を掛けたかった。でもその想いは声にならなかった。六人の中には踏んではいけない踏み石のようなものがいつのまにか出来ていた。誰もがそれを心得ていて、自分の役割を演じていたんだと、あらためて思った。
 田中も明日の夜行で田舎へ帰る。また新しい関係を一から築いていくことを思うと、ズキズキと頭が疼いた。

                                           了

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