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『ていねいに生きるということは』

                                        服部清人

 「片道一時間余りを満員電車に揺られ、肩をすぼめて小さく折りたたんだ朝刊を遠慮がちに開いて、昨日のプロ野球の結果をこうやって確認するんです」
驚いた亀のように首をすくめて四十八になるという男が自嘲気味に話し出したのは自らの日常。居酒屋の喧騒の中、使った箸を何度もきちんと重ねて置き直す。角度が気になるようだ。背中にものさしを入れているように姿勢を崩さない。
「そんな私でも時には立ち止まってふと真面目に考えることもあります」
そこで一息吸い込んで、「少々すりきれた髪の乱れを気にしながら、車窓に映る自分の姿を覗きこむ時、そこにいる男はどう贔屓目に見てもくたびれた中年男であることは否定しがたい事実のように思われ、いつの間に・・・という感慨をつくづくと抱かされます。」もう一回吸い込んで、「若くして功なり名を残すことは夢と消え、夭折という言葉に憧れていた頃を懐かしく思い出すような齢となってしまった今、かろうじて心掛けていることといえば“ていねいに生きる”これしかありません」そして駄目を押すように「これが私の最近のテーマです」

 とても活気のある居酒屋で相席となったサラリーマン風の男。ビールを一本。つまみを二皿。これが一週間の締めくくり、金曜日の晩の自分で定めた行事だという。
「ほらっ」といって手帳を見せてくれた。見事に一週間の時間割が一覧表になっている。
「あんまり規則正しいと息がつまりませんか」
と、私が聞くと、
「いえ、この判で押したような日常を繰り返すことの中から見えてくるものがあるはずなんです」
「まるで禅の修行僧ですね」
「そうです。道元です」
男は微かに笑った。しかし、そのあとは急に押し黙って、訳はわからないが曇った表情となり、挨拶もそこそこに唐突といっていいくらいに席を立ち、暖簾をくぐって出て行った。
 店の親父がテーブルの上に残った男のコップと皿を片付けるとき
「これだけきれいにたいらげるてくれると、うれしいねえ」
と、言った。

                                              了


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