『北京発・書の風景 ―春宴―』

和田廣幸


 駆け足で過ぎていく北京の春。春節が過ぎ、春の穏やかな日差しにようやく水が温み始めたかと思えば、内蒙古からの黄沙が一斉に吹き荒れ、開きかけた人々の扉を固く閉ざしてしまう。木々の芽が吹き出しあの綿だまりのような柳絮が舞い始めたかと思うのもつかの間、水銀柱はぐんぐんと上昇し、あっという間に気温は30℃を超えて一挙に半袖シャツ一枚といった状況を呈する。オーバーから次は半袖一枚というのが私の北京生活での体感であり、北京には冬と夏しかないと言われる所以である。日本では「山が動く」という表現があるように、四季の移り変わりが一コマずつ穏やかに移り変わってゆくのだが、こちらは二倍速、いや四倍速の早送りとでも言うべきか。
 さて、こうしたほんの僅かな「春」の一時を惜しむかのように、北京の友人たちと酒を酌み交わし金石談義に花を咲かせるのは、花見のないこの地での私流春の宴というべきものである。
 こうした席に同好の中国の友が、長年蒐集してきたという拓片を持ってきてくれた。それらは小品の拓片で、甲骨をはじめ金文小品は勿論、詔版や権量、封泥、陶文、陶範、瓦当、そして土専(せん)銘や買地券をはじめ小仏や造像拓などさまざまである。名家の手になる旧拓も多く、これらは呉大澂や陳介祺、端方や方若など、清末から民国にかけて排出した金石諸家の手を経た品々である。丁寧に種類別に冊や帖にまとめられ、題や跋が隙間なく書き込まれている。かつての収蔵家や観賞家たちの思い深さと情熱が、まるでその行間から溢れ出さんばかりである。
 これらの拓を眺めていると、清末の大収蔵家・陳介祺の「伝古」という言葉が脳裏に浮かんできた。「古を伝える」というそれは、単なる推拓を指すものではなく、彼が生涯をかけた文物の蒐集・研究・保護という実践を通して理解しえた、絢爛たる中華文化の伝統と悠久なる歴史の護持者としての使命感を示すものであるのだ。清朝末期という混迷を深めつつあった時代を生きた彼は、その鋭敏な神経と嗅覚でもって、押し迫る時代の彼が自らのこの国にもたらすであろう不幸を察知していたに違いない。彼の手になる拓には恐らくこうした意思が働いていたのであろう。拓の対象はもとより、その技術をはじめ、紙墨などの材料を厳選するなど、全てに妥協をしなかったその拓は、百年以上を経た今日にあっても鮮やかに本来の姿を伝えている。
 「形あるもの、いつかは壊れる」と言うが、これら金石小品拓の原物は、その後一体どのような運命に見舞われたのであろうか。海外に流出したものをはじめ、幾多の混乱ですでに原物は失われ、拓でのみ流伝されているものも少なくない。人類が世々代々と子孫を残してきたように、拓という手法を通じ、その姿を後世へと脈々と伝えていく・・・・・。
 春の宴、金石に酔い又酒に酔う。


「金石書学」第12号誌より転載 2007年9月24日
(篆刻家)




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