「青海波、癒しておくれ大津波‐総織部盃と初孫誕生」
                                          石川 元
  
 長男からメールされた赤ん坊の写真に見入って過ごしました。初孫です。つむった目、生命力を感じる鼻翼、賢げに引き締めた口、全体が無垢なおすまし顔で、胎児が眠っている格好でニャンニャンした、軽く握りしめた手がジージーには堪りません。

 奇しくも、初孫誕生のちょうどその日に、「仕上がった」との電話をいただいたので、讃岐漆名人、有力な工芸作家であられる、久本 元先生の壇ノ浦のお宅に、補修を頼んだ総織部の筒盃(土岐市久尻の窯跡より出土)を取りに行ってきました。予想を遥かに上回る見事な蒔絵の世界でした。いままで,粗雑な素人直しがしてあったので、隠れていた本来の価値が蘇った感じです。

 10年以上前、瀬戸市の古美術店店主から購入。欠け大小2箇所に、店主が「西尾のプロ直し」だというには大言壮語の、ただの金粉接着が施してありました。器体は緑一色ということで「総」と冠せられた総織部。日本の陶器は、帰化人による一部の上物を除けば、すべて、落ち葉のようなくすんだ深緑か焦茶だったのが、桃山末から江戸初にかけて、南蛮文化の影響で、原色に近い明るいみどりの織部釉が登場。その奇抜と華麗とにまさに合わせた、エネルギー溢れる直しでした。生まれ変わった。物原(ものわら)の孤児が出自を認められ、偉人の末裔として名乗りをあげたのです。子どもに才能があっても劣悪な環境であれば凋落することさながら、この十余年、陶片もしくは資料として以外の価値は、その刹那直しのために付与されていませんでした。総織部で大振りの立ちぐゐは珍しいので、南蛮にふさわしい、名古屋の陶古さんで入手したアルファベットを図案化した大正更紗(蒲団地)で仕覆を、中込までも作っておいたものの、繕いの育ちの悪さに辟易し愛玩する気にもなれず、押し入れの奥に死蔵されていたのです。

 欠損部を、砥の粉と薄麻布と銀丸粉で補修し,その上に金漆で、一糸の乱れもなく青海波の模様を線描。銀粒を蒔いたあと、その間隙に緑の顔料を挿すとき、器体の部分部分の色調に合わせたということでした。この時代の織部釉には、地肌が透見できるだけでなく、特有のムラがあります。釉の濃度それぞれの違いに応じて、顔料を、銀の粒子間に適量ずつ挿していかれたよう。顔料は、赤なら水銀、緑なら昔は緑青(ろくしょう)が定番。銅の錆である緑青は、現代ではカドニウムで代用。今回はカドニウムを基調に使用されたそうです。この種の有機金属は有毒でも、上からまた漆でコーティングするので問題ありません。一見して「直した」違和感がないという印象を受けたのは、そのようにして器体に微妙に色彩をマッチさせてあったからです。

 これだけでもじゅうぶんですが、更に上から金蒔絵で、静かな海を表す扇状模様の繰り返しである青海波を入れていま一度手間をかけたのは、注文主から、緑色を帯びさせることとともに要望されていたためだけでなく、全体に品格を与えるため、という話でした。青海波には魔除けの意味もあるそうです。東北関東巨大地震の報道で、津波を「悪魔」と表現していた、インタビューを受けた現地の男性老人サーバイバーを思い出し、なるほど青い穏やかな海なら、どす黒い大津波とはまさに対照だと納得していたのですが、讃岐漆名人がおっしゃるには、繰り返し、繰り返し同じ模様なので、魔物がどこから入り込んだらいいのか迷ってしまい、そういう模様は魔除けになって縁起が良いとのことでした。盗賊の手下が襲撃用にドアに付けて行った印を,周囲の家のドアというドアに同じ模様を描いて難を逃れた、『千夜一夜物語』でのアリババと盗賊の一幕が髣髴とされました。波の調子は、公開作品にモチーフとして援用する際には、意図して崩すそうです。まさに、確固たる基盤のある職人も、オリジナルな創作を生み出す作家も演じきることができる、逸材ならの妙技。

 同じように貝の模様を描くと縁起が良い所以(ゆえん)は,もともとの相手としか合わないということらしい。貝合わせは指紋や虹彩による認証に通じるわけです。長寿祈願の茶碗に網手(あみで)と呼ばれる漁網模様(救われたい)を繰り返し描いてあるのも、まったく同じで、日本文化が極めたメタファーといえましょう。

 結局,地震報道と出産騒動による、いつにない予見不能な気持の動揺で、ひどく疲れていたご老体。溜まる一方で進まない依頼原稿をうっちゃり、この器で久々に泡盛花酒を呑んで早々に寝入ってしまいました。夢うつつの中で、時宜を得た器を,若夫婦にお願いして付けさせてもらった赤ん坊の名、單(ひとえ)にちなんで、「單翠」と銘付けしました。全体が緑(みどり単色)つまりは総織部を表し,孫娘の誕生記念でもあり、折しも日本が見舞われた巨大地震による大津波の対極にある、青く穏やかな海を単調に繰り返したパターンに、これからのちの家族としての、初孫への願いを込めての單翠(ひとえみどり、もしくはたんすい)です。端から見れば、祖父バカという嗤い噺なのでしょうね。

                                   (平成23年3月19日)
                                      児童精神科医

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