日本、今は昔ばなし13 
    
                    「山が動いた」から30年
                                                    ななえせいじ

 自民党総裁選の行方が非常に気になります。私には関係のない世界のように思いますが、争点が憲法改正ということであれば、やすやすと見過ごすわけに参りません。どんな政治課題にだって賛否両論があることは承知しておりますが、戦後73年が経ち平成時代が終わろうとしているこの時に子や孫たちに戦争が出来る口実を憲法に盛り込んでいいものでしょうか。
 所詮は政権党内のリーダーを決める選挙ではありますが、同時に総理大臣を決める選挙にも直結しているのです。気がかりは野党の力のなさであります。「徐(しず)かなること林のごとし」でただただかさかさいうだけであります。これに対し、巨大与党は「動かざること山の如し」で堂々としているのであります。
実はこの選挙、山を動かす人が現れないか、国民は固唾を呑んで見守っているのであります。
 
 ここで唐突でありますが万葉集の一首に思い当たりました。志貴皇子が春の到来を歓んだ歌であります。万葉の時代から春はめでたい場面の到来を歓ぶ表現のひとつでありました。
 石(いわ)ばしる垂水の上の早蕨の萌えいずる春になりにけるかも 
   岩の上をほとばしる滝の上の早蕨が萌え出でる春になったことだな(万葉集入門より)
 志貴皇子(天智天皇の皇子)とは? 壬申の乱に敗れ危ない位置におりましたが、権力争いから潔く身を引いたことでその後の人生をいきのびた人であります。後にわが子が光仁天皇にのぼったことで、春日宮天皇と追称されておりますが、死後の追称でありますので歴代天皇にはありません。
 この歌をここに添えたのには、石ばしるを石破にかこつけたわけではありませんので念のため。ただし国民の中に春をのみ待つらむ人がいるのは確かであります。 

 日本、今は昔話。平成元年のことであります。その年の参議院選で土井たか子さん率いる旧社会党が大勝し、いわゆる「マドンナ旋風」を巻き起こしました。勝利の分岐点は消費税導入に対する国民の拒否反応にありました。与党は過半数割れし、土井さんは「山が動いた」と表現したのであります。
 そして現今、いいあわせたかのように年号が変わりますし、あの時と同じように参議院選挙があり消費税もUPいたします。折しも女性活躍時代の標榜とあいまって、再びマドンナの出現を期待していたのでありますが、それらしき人が現れたと思ったらあっという間失速してしまいました。しかも世の中の変化は速いうえに複雑、出世も早いが失速も早い、まったく先が読めないのであります。
 こういう厳しい状況下に不利を承知で敢然と戦いを挑もうとする正義感の強い男が名乗りを上げたのであります。まさに男マドンナかプリンスか、小説坊ちゃんに出てくる山嵐のような人であります。現下の政治の在り方に疑問を呈し、「正直、公正」を対立軸に論点をはっきりさせたのであります。これに投票権者がどう反応するか見ものでありますが、果たして山は動くのでありましょうか。

 それは神のみぞ知るでありますが、全く自己流見方でありますが、私は少なくとも今年の豪雨災害のような土砂崩れがあちこちで頻発するのではないかと思っております。例えば、消費経済構造の変化であります。特につながりたがらない昨今の若者の消費行動を見るにつけても消費の先行きが読めません。景気指標の60%を占めるのは個人消費でありますから、その若者が欲しがりませんと来ているから消費は伸びそうにありません。巨大企業だって太古の恐竜さながら自分の巨体を弄びいつしか絶滅危惧種にならないとも限りません。まずその経営構造に問題があります。市場調査、商品開発の時間を省き、その一方で利益を優先しコストを掛けないで手っ取り早く売りさばこうとする。今のところ与党の下支えがあるから経営は保たれているけれど、予測のつかない21世紀型産業革命がやってきそうな気がしてなりません。現下の頼みの消費は、高度成長期を謳歌してきた金持ち老人世帯が辛うじて支えているようでありますが、この金が滴り落ちる限界が見えており、その恩恵を受けた孫の世帯は不安定な雇用環境に苦しんでおり、しかももうすぐ定年、となれば100年人生をどう生き抜くか不安が募ります。これだけでも消費経済は暗黒時代を迎えるであろうと予測がつきます。つまり経済は規模ではなくて幸せ度の追求でなければなりません。それだのに、依然として規模を追及し、たくさんの中小企業を葬っていく産業構造の在り方は、これ民主主義を唱える国家のありようでしょうか。
 私は、これから先の政治の形態も変わっていくであろうと思っております。この難しい時期であるがゆえに国民の一人一人にも大切な政治判断が伴うと思うのであります。
 総裁選は一過性でありますが、政治は永遠であります。その政治、民主主義を唱えながら、やってることは我田引水のようであり、その犠牲が、若者であったり老人であったり、世帯間の格差が鮮明になりつつあるためか、ボーっと生きている人がこの頃多くなっているように思います。若者にも、老人にも、あとどれくらい生きられますか、と問うてみたいのであります。

                       
                  2018年8月16日
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