日本、今は昔ばなし 
    
 ③帰ってきた、銘「裏日本」
                                                    ななえせいじ

 大雪に見舞われた日本列島。特に北陸地方は何十年ぶりかの積雪を記録したとあってそこに生活する人々は大変なご苦労を強いられました。私が生まれた新潟県上越地方も深い雪に閉ざされました。あの暗くて重い昔を今に引き戻すかのようにいろいろなことを想起させるのであります。じっと息を詰めて耐えていくほかないのです。
 雪国の人は辛抱強くて無口、というのが都会の人の見方でありますが、今年は豪雪というにふさわしくケラケラ笑って過ごせる状況ではありません。一日に五回も六回も雪かきやら雪下ろしをするのです。少なくとも私が生まれた頃はこれが冬の日常の仕事の一つでありました。この大雪に悪戦苦闘する様子を見て日本海側の現状がいよいよ昔がえりをしていくのであろうと思ってしまうのです。何よりも「裏日本」とさげすまれた時代へ逆戻りするとしたら雪国の人はみじめであります。まず職がありませんでした。役場職員になれればエリート、農協か郵便局に勤められればいい方であります。多くは集団就職で女子は織物工場へ、男子は自動車工場へと俗にいう表日本へ雪崩を打って移動したのです。住み込みで奉公に出る人もすくなくありません。特異な例では当時の国策にのってブラジルなどへ移民した者もおりました。
 経済の発展で地球は小さくなり地球温暖化をもたらしました。日本も例外ではありません。何よりも特筆すべきは、田中角栄という宰相が「列島改造論」を展開し国土開発の施策をとったところにあります。新幹線や高速道路もその一つであります。文字通り日本中が過熱し、生活レベルも上がり、雪国から豪雪という事態を取り除きました。全国に工場を誘致し田舎の人にも職場を与えたのです。僻地の若者の意識も変わり建学の精神をもって田舎を出、就職するのも進取の気性からでありました。もはや集団就職という概念がなくなりました。生活の質は、テレビもない、電話もない、何もない時代からかわったのであります。裏日本という表現が消えたのも列島改造論のお陰と思うのです。
 田中角栄と列島改造景気のお陰で雪国の人たちも出稼ぎに行かなくて済みました。が、しかしこの施策にも弊害が生まれました。開発の候補地が買い占められて高騰、これが為に物価も高騰、1973年には社会問題化いたしました。時を同じくして中東戦争が勃発、いわゆるオイルショックが狂乱物価を引き起こします。日本は高度経済成長時代を謳歌したのは良かったのですが、1985年のプラザ合意に基づく円高誘導により日本経済は失われた時代へと入ります。
 日本の今はどうか。低成長時代と相まって格差時代を生み、しいては品格の差となってあからさまに人間を仕分けする現象が起こっております。少子高齢化とますます深刻化する地方の過疎化、この現実を見ますとむかし以上に深刻なのではなかろうかと思えて来たのです。
 今冬の大雪は、はからずも「裏日本」という言葉を蘇らせてしまいました。
 あの大雪では生活がままならないし、人々は「もうこんなところいやだ!」と敬遠していくこと必定、よってますます東京など大都市圏に人口が集中して行くでありましょう。
 今また、田中角栄的国のリーダー出現を願う声がおこっているのであります。確かにこの閉塞感を打破するには国民の生活に寄り沿い、かつ革命的発想が出来る人が必要なのでありましょう。田中角栄は豪雪地帯に住まう人々の貧困を自ら体験しておりますから、政治目標は明確なのでありました。あの姿勢こそが今、国民が角栄を待望する所以なのであります。
 ここで参考に、田中角栄の信条というか、言葉を挙げてみました。
「俺の目標は、年寄りも孫も一緒に楽しく暮らせる世の中をつくることなんだ」
「政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ」
「借り物でなく、自分の言葉で全力で話せ、そうすれば人は聞く耳をもってくれる」

 今はむかし、確かに故郷は格段に変わりました。昭和50年ころだと思いますが、まずJR北陸本線が越後、筒石、親不知(おやしらず)という海べりの難所を避けて内陸寄りに敷設し直しされました。その時、筒石駅舎は小高い山の上につくられ列車はその山を穿って地下深くトンネルの中を通ります。従って、駅ホームはトンネルの中にあります。筒石は漁師町で漁民は海沿いの狭い土地にへばりついて住んでおりますから、むしろ駅に行くには不便になったようであります。駅舎は地上、線路は地下、利用客はかなりの石段を上り下りしてホームに向かうことになります。その時の靴音が不気味に反響します。怖いほどです。今では観光に来る人が結構多いのだそうです。
 裏日本という表現はしたくありませんが、水上勉は、「越後つついし親不知」というサスペンスを書きました。三国連太郎主演で映画化もされました。
 また、古典では江戸後期に出版された「北越雪譜」ほくえつせっぷ)という名著があります。縮(ちじみ)仲買人で質屋を営んでいた鈴木牧之という人の著作で、江戸後期の越後魚沼の厳しい雪国の生活を書いております。
 NHK深夜放送の歌で「冬の旅」というのがあります。五木寛之作詩、倍賞千恵子作曲で、その歌詞は「越後、つついし、親不知」で始まり、寒い風が吹くだけの日本海を「シュルルン シュルルン」と表現しています。どうしても日本海側は裏日本という暗いイメージが付きまといますね。
 2015年3月、北陸新幹線が東京から金沢まで開通しました。路線は上越辺りからぐっと内陸寄りに敷設されましたのであらかたトンネルであります。親戚の行事で越後妙高駅に降り立ちましたら好天に恵まれたせいか、昔のイメージは全くありませんでした。その時は東京で友達に会って名古屋に帰りましたが、乗車所要時間は3時間強であります。私が故郷を離れた昭和24年は15時間でありました。便利になりました。冬を除けば表日本と何ら変わらないのであります。
 人がなんといようと、私は自分の出生地をよく見たいし、良くしたいのであります。
                       
                   2018年2月
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