ニューノーマルの時代
           ポストコロナの社会はどう動く 政治と経済

                                    ななえせいじ

 新型コロナウイルスとの戦いはまだ路半ばであります。若い人たちの無防備な行動が懸念されます。問題は終息後であります。これらの人達の人生は長い。高度経済の時のような安定した路線はもはやありませんよね。社会の動きがいかなる方向に向かうのか、政治はどう動くのか、など混乱と不透明の時代が来たのであります。
 そこでまず政治動向。菅内閣はコロナ内閣と認識されます。この認識の下でポスト菅内閣の行方が気になります。年寄りのたわごとでありますが・・。
これから先、衆議院議員選挙はじめ、長野、広島での衆議員補欠選挙、東京都議会選挙、名古 屋市長選、その他いろいろの選挙が目白押しであります。ここではあくまでも推測の域を出ませんが・・。
 特定の政党の肩を持つわけではありませんが、政局が動くこと間違いないと思います。与党に代わろうとする野党の野望があるならコロナのこの時期での世論の読みは難しいですよね。一見野党有利のように見えますがそうは問屋が卸さないのがこの世の常。まずもって野党は国民受けする政策を練り上げるべきであります。政権与党の失敗が数々あれども選挙は水物、有事の際は「今まで通り」を選択するのが有権者の心理であります。だからして政策のすり合わせに時間をかけるべきであります。みんなの党の寄せ集めでなくして背骨になる魅力ある政策を打ち出すべきでしょう。支持率が伸びないことの分析から始めてみることです。
 大河ドラマ麒麟が来る、は終わりましたが、あのドラマに言う“麒麟”とは何を意味しているのか、禅問答です。
 そこで提案。議席がどう増減しようともその現実にまず納得することです。真実は勝ちすぎるは良くないということ。階段の踊り場にひとまず立ってみる。
 昔(1584・3)小牧長久手の戦いがありました。織田信雄・家康連合軍と秀吉の戦いです。この時家康は優勢にありながら和睦いたしました。本拠地岡崎が攻められる危惧があった。加えて大方の世論が秀吉寄りであったために戦いの大義名分がないと判断、和睦の道を選びました。ここでは勝つことよりも勝ちすぎないところに意義があったのでしょう。
 家康の和睦作戦は戦わずして勝つというものです。これには前例があります。桶狭間の戦い後の永禄元年(1558)から永禄4年(1561)にかけての石ケ瀬川(愛知県大府市当たりの川)の戦いです。あまり有名ではないので多少のフィクションが伴いますが、家康がまだ松平元康と名乗っていたころで、ご存じ今川隊の先方として尾張大高砦あたりまで詰めておりました。ところが形成は逆転し義元は討たれてしまいます。混乱と疲弊のさなか信長隊(水野元信等)の意気は軒昂であったとしてもこれ以上の戦いを望まなかったでしょう。元康は今川の人質でありましたから状況分析はクールです。そこで織田方と和睦したのです。歴史は勝負つかず、と記しているようですが元康の本音は影響力だけを残して岡崎に帰って本拠地を固めるところにありました。その後の家康と信長の関係は互いにけん制しながらも悪くありません。
 麒麟の話に戻します。家康は、後に天下をとり戦いのない世の中をつくりました。ドラマに言う麒麟になったのであります。鳴くまで待とうの辛抱強さゆえの賜物です。これこそが今の野党に求めてやまないものじゃないでしょうか。
 至近では土井たか子さん率いる政党が消費税一本やりで多数の議席をとりました。30数年前の話です。今はその後継党は見る影もありません。勝ちすぎは災いのもと、過ぎたるは及ばざるがごとしというじゃありませんか。(つづく)。
                         
         2021年3月21日
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