年寄りのたわごと
                 あんたにいわれたくない―(13)
                                                    ななえせいじ
 さていまさらながら戦後を振り返ります。あの混乱期、人々は生きるが精いっぱいでありました。それでも国民は希望を抱き一生懸命働きました。国の政策を信じ生きがいがあったからです。その成長策とは。良いものを沢山造る。効率をあげる。生活のスピードを上げるため鉄道を増やし高速道路を造る、大家族から核家族へ、国民の教育機会を増やし進学率を高める、マイホーム、マイカーなどなど。常に向上的で目標がありました。こうして日本は経済大国になりました。が、その一方で代償も負いました。公害に侵され豊かさが変質していきました。使い捨て文化が新たな公害を生みました。自分たちが生産した物に脅かされていくのであります。その脅威は尋常ではありません。いまさらながらコロナは豊かさの副産物ではなかろうかと疑ってしまいます(化学的根拠はありません)
 そして迎えた令和コロナ時代を契機に人々の考えが変わりつつあります。経済成長の冷徹な副産物に国民は一様に自己防衛スタンスに考えを改めていくのであります。経済成長の恩恵を受けながらもその中身は数とか規模ではなくしていかに満足な生活感が得られたかに観点が変わっていったのであります。その社会現象として少子高齢化社会の出現であります。五十年後の日本の人口は半減しているだろうとさえ言われております。そのキーワードは「断捨離」。もはや断捨離は国民共通の認識なのであります。
シャワーのように注いでくる「不要不急」というコロナ言葉は断捨離を社会認識にまで押し上げました。経済成長と引き換えに溜まりに溜まった不要ゴミはもはや厄介物以外の何物でもありません。まさかとは思いますが感染症の遠因かもしれませんよ。豊かな生活とは「欲しがりません、要らないものは捨てます、なるべく買いません」という忍耐の上にあります。もはや断捨離は令和最大の不況要因になりつつあります。(つづく)
                         
               2021年5月28日
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