ニューノーマルの時代   
                  廃れゆく伝統文化 さあ、どうしたらいい?
                                                   ななえせいじ
 
 コロナはこれからの厄介な社会との関りを自分で考えて自己実現をはかる新生活方式を奨励しております。え?どういうこと?
 それはね、稼ぎ手の若者の減少により財政逼迫の今後に政府が困惑しているからでしょうね。これまでの大企業に頼るばかりでは適切な措置が講じられないということ。国政選挙でこの大票田に取り入ってきた政権与党はにわかに方向転換できそうにない。組織票の大企業と選挙好きな年寄りに依存してきたきらいがある。しかしそれがコロナを契機に少しずつ変化してきた。例えば老人医療。医療負担がかかる割に治療費は取れない。国民の自己負担が少なくて済む医療制度は国民に優しいには違いないが、高齢化社会のこれからは国の負担が増えるばかりである。この打開策に四苦八苦している。ここにきてコロナ感染中等症とかの入院を避けるべく自宅療養を奨励するというのは自分の生命は自分で護れとした国民遺棄に他ならない。これが政府の本音かと思うと寂しくなってきた。80歳を過ぎた者としてこの頃国は冷たいと感ずるようになった。思いすごし?
 国民は足元を見られたからって日本国民を捨てるつもりはない。これが大和魂。

 オリンピックでの日本選手の活躍に目をみはります。それはそれとして宴の後の負担が気になります。間違いなく大赤字でありましょうから国民負担は増えます。
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(芭蕉)になるかもしれませんよ。それでもいい、日本の実力が世界に発信できたのだから・・。この見解に納得しますか。しかし冷静に考えてください。コロナのさなかですよ。感染者が急増しておりますよ、しかも盛夏ですよ。間もなく終戦記念日。あの日も盛夏だった。思い出したくない夏。こんな時節にオリンピックを誘致した罪な政府。敗戦の屈辱を思い出させるため、それとも奮起を促すため。冗談じゃない、平和に勝るものはない。

 コロナ二年目のお茶会はどんなですか? 怖いもの見たさに戸惑いながらも少しずつ元に戻そうと反応を探っているところのようです。はじめ恐々、そのうち大胆かつ大っぴらになってくるでありましょうが、世間体を気にしながらも手探りというのが実態のようであります。そのうちコロナ恐れるものぞと会費を徴収するようになるでしょう。  
 でも催し件数は確実に減り、規模は縮小、動員人数も減り廃れの兆候にあるのは今のところ如何ともし難い。業界幹部の奮起に期待するのみ。
 言ってみればコロナは茶道会の勢力図を明確にしていくということでもあります。コロナ以前のような盛況を取り戻すかどうかは業界のリーダーたちの思慮分別に掛かっているともいえます。お点前の手順にばかりに重きを置く指導じゃ茶の湯の真の相は見出せません。おもてなし、思いやりの心までは習得できないでしょう。場の雰囲気を理解し、余禄の人生から当意即妙に対応できる余情がなければ茶を嗜むという心境にはとてもなれません。そう言ってみるだけで、言行不一致でありますので念のため。

 淡交会の夏期講習会も二年ぶりに再開されました。講師はテレビの「なんでも鑑定団」でおなじみの古文書研究家のⅯさん。沢庵和尚の柳生宗矩に宛てた古文書を参考資料に講義をなされました。内容についてはまたの機会にするということにいたします。(なお、沢庵和尚と将軍家光については拙著「諷意茶譚 203ページ)を参照されたし)
 講師はこの日、茶会の大寄せ茶会について一言言っておられました。「茶会は昔に返る」と。つまり昔の財界人が好んだ四五人形式の茶事のことのようです。さすれば掛け軸は茶席のメインテーマになるとも。(このことについては拙著「日本、今は昔ばなし」の「百年河清を俟つ」(176頁)の項にいささか触れております。
                         
               2021年8月4日
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