年寄りのたわごと あんたに言われたくない(22)
                  あれでいいのか眞子さん報道

                                                   ななえせいじ
 
 過熱気味だった眞子さん報道、いささか食傷気味でありました。
メディアの報道をとやかく言う立場にありませんが一視聴者として意見とか思いとかはあります。
 言論の自由、報道の自由は担保されてしかるべきでありますが、マスコミというからには一瀉千里を駆ける危険が伴います。報道というのは仕方によって凶器になります。皇室という別世界のことですので知りたくもありますが連日の報道を見ていると角度によってSNSさながらの誹謗中傷に見えてしまいます。私はあらゆる感情を抜きにしても小室夫妻が気の毒に思えてきました。つまるところ、報道とは暴くこと、お節介を焼くこと?なんでしょうかね。特にテレビは視聴率を上げることに躍起なのでしょう。スポンサー獲得に直結するからなのでしょうが、もう少し配慮が欲しかった(あんたに言われたくない)。
 弁護士試験に不合格となった小室さん、これだけ国民衆目の中で落ち着いて取り組めなかった事情を察してあげてもいいのではないでしょうか。次回の結果がどうあろうと報道の片隅で知る程度でいい。(こう思うのは私ばかりではないでしよう)。

 話変わって、先の選挙結果のこと。維新が議席を大幅に伸ばしました。勝因は分かりやすい「フレーズ」にあります。中でも「身を斬る改革」が最も分かりやすい。国民が知らないところで政治活動費として100万円が支払われていたという話。維新はこれに疑問を投げかけました。松井代表は「永田町というところは世間の常識からかけはなれている」と糾弾しました。これがハードパンチとなって各党は「国民の理解が得られない」とすぐさま腰を上げました。政治のよりどころは常に「国民の理解」にあります。どの党も今こそ国民に寄り添うべきであります。とにかく30年間も日本の勤労所得は上がっていないのに大企業の内部留保は莫大に積みあがっております。労働搾取と低賃金が構造にあります。先ごろ発足したばかりの岸田内閣は「成長と分配」を政策の目玉に上げました。
 ここはやはり、先に大企業の内部留保を分配するにあります。さもなければ国民の理解が得られません(お前に言われたくない)。
 幸いにしてウイズコロナを契機にいい流れが生まれつつあります。政権が声高に叫ぶ「新資本主義」に国民の理解が得られるかどうか瀬戸際にあるように思います。なんだか「別れの予感」がするのです。
 国民の理解というのは上から目線でなく国民運動、市民運動、学生運動等々の下からの運動から起こります。若者に期待しています。60年前の安保闘争を扇動する心算はありませんが・・。
 立民が生まれ変わろうともがいています。代表選の顔ぶれが出そろいました。
苦しい道のりには違いありませんが、古今和歌集巻4より藤原敏行の次の歌を参考に掲げます。
 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
(秋が来たと目にははっきりみえないけれど風の音に秋の訪れを気付かないではいられなかった)
 風は国民の理解が得られるかどうかの風、すなわち当世ならば女性活躍とか登用、政治に対して真面目、正直に取り組む姿勢といった風。こういった風は目にはさやかに見えないけれど国民の願いは音となってうごめいているはず。この風をとらえられなければ比例票は取り込めない。立民の代表選はこういう観点から注目しております
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               2021年11月20日
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