諷意茶譚6
            アフターコロナの二つの大茶会

                                                   ななえせいじ
 
 茶道連盟主催の126回目の茶会が2年ぶりに名古屋八事の料亭でありました。これまで年二回開かれていたと記憶しますが今回はコロナ警戒中とあって人数制限などに気を配っての開催であります。そしてもう一つは八事興正寺に於いての織田有楽斎没後400年記念茶会であります。
 まずは連盟の茶会から。
濃茶、薄茶、野点(田舎家)、点心(幕内)のフルコースであります。かなり時間がかかるものと覚悟しておりましたが、係の手際が良かったからか意外にスムースに運びました。このスムースさが茶会の歓びを倍加させる要素でもあります。もちろん茶会という行事は道具揃えがいかなる趣向なものか気になります。と同時に歴史的にその道具類がいかなる意味をなすものなのか興味が尽きません。勉強になります。口さがない客が必ずいるものでありますからお役目とはいえ関係者の気苦労をお察しいたします。
 茶会に行って「ただ抹茶を戴く」では勿体ない。茶会のメインであります掛け軸から鑑賞いたします。
 道具席の床の間に掛かるのは、策彦周良(さくげんしゅうりょう)筆 祖意教意の偈。
 策彦周良は室町時代の臨済宗の僧(1501年生)で今に言う外交官であります。1547年、大内氏の代理を務め室町幕府正式な使節として明にわたります。
 私は2年前、山口県防府市の毛利博物館を訪れ幕府が民国との勘合貿易で実際に用いたとされる「日本国の印」(重要文化財)を拝見しました(拙著 日本、今は昔ばなし185ページ)。策彦周良が手にした印鑑と思っております。
 亭主の説明によりますと信長に「岐阜」という地名を進言した人だそうです。
 祖意教意とは。
 ある僧が問いました。祖師直々の教えと経典の教えとどう違うのかと。その解答がこの日の掛け軸のようであります。鶏は寒いときは木に登り、鴨は水に潜る、それぞれなのである。であるのにどう違うのかと問うようなものである。それは人それぞれの解釈による。だから祖意も教意も同じに論じるものではない、というのが結論。(思い違いがあるとすればお許しを・・)

 もう一つの茶会について。
 織田有楽斎没後400年の記念事業とあって約450人が集いました。主催者は、NPO法人茶美会日本文化協会。私は、濃茶はもとより薄茶、点心、それに非常に珍しい桶茶席も体験しました。
 その桶茶というのは愛知県豊田市に隣接する稲武の農家の人たちが野良の合間に嗜んだ一服茶で庶民的な風合いがあります。文字通り桶を活用して茶葉をかき回して点てます。亭主の説明では日常的な番茶の一種のようであります。余談ですが愛知県の抹茶が盛んなのはかつて農家の人たちが野良仕事の合間に日常的に嗜んだらしい。まさに桶茶はこれに似ていると解釈しました。したがってお菓子も漬物の応用が多い。
 前後しましたが本席濃茶席の掛け軸については次のように記憶しております。
 水戸徳川家伝来の一休宗純の頌歌で片桐石州箱書とあります。本文は「禅者詩人皆痴鈍」という衝撃的な言葉から始まっております。ご存じのように一休さんは当時、形式禅を痛烈に批判していました。その流れから推察しますとこの軸はまさに当時の京都五山に異議を唱えた一休さんの面目を表す頌歌ではなかろうか。資料的価値があると思います。(ごめんなさい勝手な思い込みであります)

 茶会に参加して何かを得なければ会費の無駄使いになります。教養は腹の足しにはなりませんが頭の体操にはなると信じております。とはいえ寄る年波には勝てませんな。     
                         
               2021年12月12日
生々文庫目次に戻る
最初のページに戻る