諷意茶譚8
              箱書・極札・折紙 茶道具の何なのか

                                                   ななえせいじ
 
 この種の難しい話は苦手であります。でも、茶道具に思いを馳せ楽しんでいるからには全く素通りというわけにいかないでしょう。元より知識不足なのだから少しでも上乗せできれば茶の湯の腕前と共に人間性もあがろうというものであります。

 四月十六日の午後、「極め札とはなんぞや」との勉強会に知識欲旺盛な数寄者が「ぎゃらり壺中天」(名古屋市中区)に集いました。東京から講師が招かれました。その上店主のご好意でお茶、お菓子のサービスまでついておりました。こんなお値打ち勉強会に参加しなきゃ損というわけです。

 この勉強会は非常に為になりました。
 茶道具はいくつか所持しておりますので「極め札」がついた茶入、折り紙付きの釜、貼り紙のついた茶入、箱書きがある茶碗、香合などこの種の極め札はおみくじぐらいにしか思っていませんでしたから大変参考になったことは確かであります。勉強会の後、自宅に帰ってわざわざ道具類を裸にして勉強会の成果を確かめたというのは偽りのない心境であります。

その結果は、今までおみくじ程度に思っていたそれらの貼り紙や箱書きが想像以上に有難く思えてきました。自己保有の道具はその価格はたかが知れておりますがそれなりに本物であると惚れこむことが道具に対する思いやりであろうと思った次第であります。これが自分なりの総括であります。

「鰯の頭も信心から」という諺がありますが、現物が目の前にあるのですから「所有したことの歓び」をもって満足しております。

 こんな経験があります。転勤地の骨董屋で何度か足を運んで手に入れた茶碗、愛用しておりましたが、合わせ箱であったため今一つ気分乗らずいささか気に入らなかったのであります。それは茶碗の出来栄えというのでなく合わせ箱にありました。何年か経って地元のある道具屋さんに作者の箱書きを依頼しました。その結末は、茶碗そのものが偽物というのです。まず高台が違うし刻印も違うというのです。道具屋さんに罪はありません。道具屋さん自身も本物と信じていたようです。わざわざ窯元までご足労願った罪心がトラウマとして残ります。
 今も気に入っておりますから時々は使います。もちろんそのまま、箱書きはありません。
 その後箱書き付きの本物を窯元から入手しました。この苦い経験から知恵がついたものらしく偽物と本物の品格の違いをはっきり見わけがつくようになりました。

 古文書や消息、禅語などの一行ものなどは全く真贋の区別がつきません。己の心のまま気持ちが寄り添えるかどうかだけで判断しております。あとは道具屋さんの信用と日頃の付き合いとか熱意とかで信用度を量っております。自己満足でいいのです。とにかく自分の生業はどこにあるのかをはっきり意識しておく必要があります。あまりでしゃばらないこと、浅はかな知識を振りかざさないこと、を心掛けております。もう傘寿。年寄りとお化けは出ない方がいい、とはお袋の教えであります。

 ただし人前に出して鑑賞してもらう段はよく勉強して自信をもって説明いたします。その時極札や家元のお墨付きがあれば心強いことは確かです。道具の良し悪しは亭主の自信と説得力にあります。
 例えば占い師のお告げを信じてしまうことってありますよね。それでいいのです。信じる者は救われる。これって骨董品業界の常套的な心理作戦かもしれませんよ。     
                         
               2022年4月16日
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