日本、今は昔ばなし 
    
                ⑨築くはながく転落ははやい
                                                    ななえせいじ

 アメフットの監督さん、たった一つの反則プレーがきっかけに名監督の地位から転落してしまいました。この現実を私たちは、明日は我が身と真摯に受け止めねばならないでしょう。
 現実社会は確かに厳しくなっております。例えばサラリーマン社会にあっても仕事ができなければ容赦なくリストラの対象になりますし、馘か左遷の候補者にあげられてしまいます。アメフット事件は今社会の見本のような出来事と思うのであります。
 今社会の人間は決して忍耐強くありません。余裕が持てない人間であふれております。故にすぐ切れてしまうのであります。対象を特定しないまま無作為に不満の矛先を向けてくる不可解な事件が後を断たないのであります。
 危険がいっぱいの今社会。ごく普通の人であっても、いつの間にか訳なく人生を転落させてしまうのであります。しかもその速度が速いのです。これは社会のせいだと見えなくもありません。
 この悪しき見本を見せているのが、政界や経済界のエライ人たちではないだろうか。今社会に蔓延する学歴社会、金持ち優先主義、公僕意識を無くした公務員、などなど周りを見渡せば格差社会を助長することばかりであります。加えてこういう社会がいいと思っている人、落ちて悲惨な目に遭っている人を容赦なく棲み分けるという現実が目の前に横たわっているのであります。
 あの監督さん、問題を解決しようという姿勢より、時間クスリでそのうちおさまるだろうくらいの軽い気持ちで記者会見に臨んだように見えました。その結果が殊勝な言葉で繕い、問題を先送りしてきたのでしょうね。今その咎が一斉に監督に向けられております。誠意がないと見られ、結果、問題を複雑にしてしまったのだと思えてしまいます。世間の見方は人それぞれでしょうが、大体こんなところではではないでしょうか。
 成熟した社会にあって、今はっきりしたことは、こころ不在の成果主義、結果主義、効率主義、絶対主義はもはや古い考えであり、とくに若い人はこういう指導者にはついていかないということであります。

 日本、今は昔話。およそ20年前の1997年11月24日、この日山一證券が事実上破綻したのであります。従業員7700人、関係会社、家族も含めますと3万人にもなる巨大企業であります。
 その破綻の日に、最後の社長野沢正平さんは「社員は悪くありません」と号泣しました。「私ら経営者が悪いのです、どうか一人でも多く従業員の再就職に力を貸してください」と素直な気持ちで懇願したのであります。この会見の様子は多くの人々の心を打ちました。
 野沢さんは7か月前に社長になったばかり、歴代社長は東大出や一橋大出の学閥で占められていましたが、長野県出身で実家が農家という苦学生の野沢さんはむしろ稀有な存在でありました。自分で学費を稼ぎながら法政大学を卒業、将来性を見込んで山一に就職した、ということであります。
 号泣会見はシナリオもなく野沢さんの本音が恥も外聞もなくさらけ出された心情であったので、その場にいた記者たちの共感を呼びました。同時に山一の社員たちは世間の同情を集める結果にもなったというのであります。破綻の引き金となった簿外債務事件には関わりがなかった野沢さんには一点の曇りもありませんから、自主廃業の残務整理に追われる傍ら自ら社員の履歴書をもって求職活動にも奔走したというのであります。号泣は、演出でも意図したものでもありませんから、人々の感動を呼び、余りあるほどの求人を呼ぶ結果につながったといわれております。野沢さんの人情に満ちた人柄が見えざる力となったようであります。今もって当時の社員から大変な尊敬と信頼を集めているとのことであります。
 余談でありますが、私の現役時代の職場にも山一出身者がおります。私の4代後の後任として赴任していたのであります。昨年、名刺を交換する機会を得ましたが、その人はいま本社の部長に栄転しております。

 アメフット事件に話を戻します。あの会見、どう見ても山一証券の野沢さんとは心のありようが違うように思えてなりません。どんなにみっともなくてもいいから地位と責任のもとに誠実に本音を語ってほしかったと思うのであります。
 今の世の中、あらゆる分野で不測の事件が起こりうる社会の仕組みが怖いのであります。特に効率、実績を優先させてきた企業社会は、機械の運転操作技量、点検技量などなどに遅れが目立っております。これを偽装で固めたり、隠したり、というようなことが日本のリーディングカンパニーに散見されるというのは、経営者に奢りがあるからでしょうね。正直者がバカを見るようでは、いい世の中になるはずがありません。こうしたバレなきゃいいとした風潮が怖いのであります。例えば交通事故一つにしても理不尽な事故がこの頃多いと思いませんか。背景に格差社会を容認する風潮があるように思います。生きる目的を失くした人が増えている、というのはまさしく品格のない政治の在り方にあるのだと思います。
 転落の人生を生み出してしまう社会にどう対処したらいいか、自らに知恵を付けることも大切と思います。
 悪いのは誰でもない自分にあるのです。自業自得とまでは言いませんが、まずこういう社会を理解し対処しましょう。「社員は悪くない」という経営者はもう現れませんよ。

                       
                  2018年5月31日
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