『古写経逍遙 その4
                         − 墨縁 −
                                                      安  裕明

 ここに一冊の写経手鑑がある。書画帖に経切を貼ったものだから厳密には古写経帖と言うべきか。制作は明治〜昭和初期と思われるが来歴は不明である。入手から6年経つが、この手鑑はある人の教示で偶然私の所に来ることになり、方々で見せびらかしたことによって新しい知人を得、その方の紹介で紙の年代測定という分野の専門家小田氏と相知ることになった。小田氏との共同研究は将来必ず面白い成果が得られだろう。

 古書市を教えてくれたのは今瀬さんである。私が「古写経、古写経」と騒いでいるのを覚えていて、届いた目録の中に『古写経帖 平安〜鎌倉経33紙貼込』とあるのを見つけ「安さんのお目当ては天平経だろうけど…」と教えてくださったのである。当時の私は平安・鎌倉経にはあまり興味がなくほとんど忘れかけていたが、ふとしたはずみに「そういえば古書市は明日までだったな」と思い出した。急遽休みを取り、250q離れた会場を目指した。高速を走り出して間もなく速度違反で捕まった。反則金¥18,000も痛いが時間のロスも痛い。一発免停でないのが不幸中の幸いと気を取り直して会場に到着すると、お目当ての手鑑がない。ケースがないため店主が持ち帰り、40分程かかる店に行かなければ見られないという。一瞬このまま帰ろうかと考えたが、ここまで来て見ずに帰ったらと思い直して店に出向き、件(くだん)の手鑑を見て驚いた。 私の見るところ33紙のうち13紙は奈良時代の経切で、大聖武こそないものの中聖武・二月堂焼経・元興寺尼経・五月一日経などの名物切が入っている。高麗経とおぼしき手のいい紺紙金字経もある。これ程の写経手鑑を見ることはあまりない。一言も発せずに経切をにらむこと40分。高価ではあったが、まさに一期一会と購入を決意した。

 入手して半年、貼られている経切の調査が一段落すると(今でも未詳の切があるが)これを人に見せたくて色々な所に持って出た。『何紹基展』の時も田村氏や谷川氏に見てもらった。谷川氏を介して偶々ご一緒した書家の高田香坡先生との出会いが私を新しい方向に向かわせる。以前から考古学の炭素14による年代測定のことを知り、経切にも応用できないかと考えていた。その方面の研究者の面識を得たいが全く見当がつかない日々が続いていた。その話を高田先生にすると即座に「そういう研究をしている若い方が」と小田氏の存在を教えてくださった。後日高田先生から送られてきた資料『加速器を使用した炭素14による料紙の年代測定』を見てこの人だと思った。

 東京の学会に出席する小田氏に会うことができたのは半年後。それまで調べてきた三井寺切紙背の文選切の年代測定をお願いした。「三井寺切紙背文選の現状」(二玄社『相川鐵崖古稀記念書学論文集』所収)という小論を事前に読んでもらっていた。随分強引な依頼である。小田氏は「個人の依頼はお受けできませんが、共同研究という形でやりましょう。」と快諾してくれた。小田氏による試料採取・化学的前処理を経て半年後に結果が出た。予想通り、文選切の料紙の制作は715年の可能性が最も高く、自然科学的誤差を考えても671年〜778年の間に95%が入るというものであった。木簡を除けば伝世品では最古級の文選写本の確認ということになる。小田氏が発表原稿をまとめ、修正を加えて2009年の文化財科学会で発表した。新聞各紙の取材を受け、「最古級の文選写本か」と紹介された。小田氏はカリフォルニアでの国際学会でも同様の発表をして高い評価をうけた。それに力を得て数点の経切の年代測定を実施したが、これもほぼ予想通りの結果を得た。私も小田氏も紙の産地を特定する必要性を感じており、小田氏の学会仲間である坂本氏に顕微鏡等による紙質分析を依頼し、産地同定(紙の繊維や含まれる鉱物を分析し、生産地を中国・朝鮮・日本と特定すること)へと進もうとしている。産地の明確な試料をデータベース化する根気のいる作業が必要だが、紙の製作年代と産地が特定できるようになれば、いつ・どこで・誰が書いたかという素朴な疑問に答えることが可能になる。

 一冊の写経手鑑の入手から始まったこれまでを振り返る時、そこに墨縁とも言うべき人智を超えた何かを感じる。今瀬さんの教示→手鑑との出会い→高田先生との出会い→小田氏との出会い→文選切の測定→学会での発表→産地同定への発展 途中で何か一つでも歯車が狂えばここまで来ることはなかった。この縁は何処までつながって行くのだろう。    
                                2010年5月31日

とここまで書いたがあまりに内容が個人的過ぎるとボツにしてから1年。服部さんのご厚意で壺中天において古写経展を開くことになり、案内状の作成・経切の選定などの準備を始めた矢先、東日本大震災に遭遇した。

 携帯が繋がらず、家族の安全を確認できたのは地震の6時間後。次に気がかりだったのは書斎や準備室にある経切の安否である。余震の続く中、立ち入り禁止の校舎に入り準備室を捜した。無事だった。茨城からの宅急便発送が可能となり、荷造りをして発送したのが19日。服部さんから到着のメールが届いたのは22日。25日にはかろうじて間に合ったが、陳列は服部さんと谷川氏にお任せとなってしまった。26日のギャラリートークは常磐線が復旧しておらず出席が危ぶまれたが、常磐道で守谷まで出て、つくばエクスプレス・新幹線と乗り継いでなんとか25日の夕刻に名古屋に着いた。当日は30人を超える方が来てくださり、近くのビルの会議室でのトークとなった。会議室に入りきれず廊下で聴いてくださった方もおられる盛況であった。私なりの準備はしていたが、あれも言いたいこれも言いたいと様々な思いが浮かんで言うべきことが抜けたり、まとまりのない話となってしまい申し訳なく思う。それでも千三百年の歳月を越えて生き残ってきた経切達の生命力は多くの方々の心に残り、新たな墨縁が生れたと信ずる。

 名古屋から帰宅すると小田氏からメールが届いていた。四分律巻27断巻(今回の展覧の案内状に使用した経切・これまでの調査で聖語蔵の唐経四分律巻13〜20の一具であろうと推測し、坂本氏の分析によって聖語蔵四分律巻18とほぼ同じ紙と判定されていた)の年代測定の結果である。正倉院事務所長杉本一樹氏は正倉院紀要第29号「聖語蔵経巻四分律について」において「これら唐経四分律は鑑真将来経である可能性が高い。」と書いておられる。その一具と思われる巻27断巻の年代測定の結果は「この料紙の制作は670年の可能性が最も高く、自然科学的誤差を考えると656年から765年の間に95%の確率で入る。」という結果であった。期待通りの結果で杉本説を裏付ける結果だと思う。きちんと整理して学界に報告する予定である。

 余震のさなか立入禁止の準備室に入り、めちゃめちゃに散乱する書籍や資料の中から経切を捜して無事発見した時、ほっと安堵するとともに、きっと多くの先人達も度重なる戦乱や災害の中でこれらを必死に守り続けたのだろうと、歴史が単なる年月の積み重ねではなく、時代時代の人の営みの積み重ねであったことを実感し、古人に連帯感のような親しさを感じた。また、これら経切達が一層愛らしく貴きものに感じられ、私にも次代に引き継ぐ責任があることを思った。その意味でも今回の展覧・トークは有意義なものであったと思う。改めてご協力頂いた皆様に感謝いたします。
                       
                  2011年6月10日
                                          (茨城県立多賀高等学校教諭)
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