日本、今は昔ばなし17 
    
               男の顔は書きかけの履歴書
                                                    ななえせいじ

 この夏のことであります。じろう(仮名)は小学校のクラス会に出席いたしました。昭和30年頃は60人もの大所帯でありましたのに60年後に集まった人は十数人でしかありません。3年前の時よりだいぶ少なくなりました。死んだ人、認知症になった人、経済的に余裕が持てなくなった人、それぞれに事情を抱えております。この夏の猛暑で体調を崩した人も何人かおりました。後期高齢者となった私たちはそろそろ限界体力に差し掛かったのだと強く感じました。
 じろうは、淡白に人生を過ごしてまいりましたので、今回のクラス会で「いじめられっ子だったよ」という衝撃の事実を聞かされ非常に驚いたのであります。というのは、じろう自身はいじめられたという記憶があまりないのであります。「ほんとうに?」と半信半疑でいると、「わたしがかばってあげたのよ」とその女(ヒト)は自慢気に告白したのであります。じろうは苦笑して「それはそれは」というにとどめました。
 これを契機にほかの人の消息も少しずつ分かってきました。
 四国で大学教授になったS君はすっかり四国の住人になっているらしい。大企業の総務部長まで務めた横浜のH君は現役中に総会屋対策で苦労したらしく脳溢血でこの世にいないそうですし、沖縄のH君は現地で頑張っているらしく、出席したいと伝えてはくるが一度も来たためしがありません。「こっちへ来るまでにあっちへいっちゃうかもね」と冗談を言う人がおりました。郵便局長になったI君はかつての部下のM君とはいつも離れて席をとり、互いにけむたがっている風でありました。県庁に就職したN君はとびっきり頭が良かったのでかなりのところまで出世するだろうとクラスの皆が期待していたのですが、とうとう役職にも付けずに早期退職してしまったようです。ところがこの齢ながら今は介護施設でのびのび明るく働いているそうであります。
 さてじろうをかばったというその女(ヒト)は、幹事役を買って出るほどに今も活発で積極果敢な性格そのままにクラス会を仕切っております。40年前、すなわち我々が30才台のころ女性の管理職が稀有な時代に大手旅行会社の課長に抜擢され、そのインタビュー記事が新聞に大きく載ったのであります。トヨタ社員のところに嫁いだものらしく今は悠々自適に暮らしているということであります。
 日本、今は昔ばなし。かつてジャーナリストの大宅壮一はその著書“炎は流れる”の中で「女の顔は請求書」といったのであります。バブルの時代、バーやクラブのマダムは月末近くになると経理の窓口に集金に大勢並んだそうであります。バブル景気は今となっては伝説でありますが、あの時代、まさしく女の顔は請求書に見えたのでしょうね。今になってじろうは請求書を突き付けられた思いにさせられたのでしょうね。大宅壮一は別に「男の顔は履歴書」とも云ったそうでありますが、死後50年も過ぎますと世の中の様子は変わってきており、男も女もなく、履歴書、身上書、請求書、領収書、何とでもいえそうなのであります。息子を早くに亡くした人、子どもを可愛がりすぎて子離れしない人、親離れしない息子をいつまでも傍に置いている人、夫婦仲悪くて離婚した人、夫に死に別れてから数十年後に再婚した人、生活に詰まり自殺した人もおりました。ことほど左様に悲しい運命を背負った人の顔には人生を履歴書にしたような文字がしわとなって刻まれるものであります。
 「男女平等」は現実な時代になりました。男は主夫もこなします。多くの場面で女性が決定権を持つようになったのであります。その分、男はだらしなくなりました。大宅壮一が今に生きておればきっと「男の顔は書きかけの履歴書」と表現したでありましょう。最後まで書くか、破棄するか、まるで履歴書を書いた頃の気持ちのままでたどり着いたこの齢、もう請求書はいらない。

                       
                 2018年10月25日
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