日本、今は昔ばなし20
                      エバレット・ケネディー・ブラウンさん
                                                    ななえせいじ

 これは前号に続くものであります。「やっとかめ文化祭」の最終日、面影座は茶会とセットで名古屋城本丸御殿にて黒船時代の写真技法を伝承するエバレット・ブラウンさんの講演会を開きました。その不可思議な作品は湿板光画という手法によるものだそうでデジタルとは全く異なった風合いの不思議な奥深さがありました。題して「公武のさかいをまぎらかす」というもの。会の主催者は、「和漢のさかいをまぎらかす」くらいの気概を以ってとして、各地に生まれた集会所のような場所(会所)が伝統的な文化を一対として育んでいった、と説明しています。
明治維新を前にして公武は合体しましたが、「せごどん」を見ていますと西洋かぶれした新政府要人のいでたちは完全なる一対とは見え難く滑稽でさえあります。しかし歴史的に一対の現場は、古今集の「真名」と「仮名」に見られるように和漢が渾然とした文化は近時代の私たちの生活においてさえ切り離しがたい存在となっております。
集会所すなわち会所は1360年頃に都に出現したと面影座の説明にあります。南北朝時代のことで天命釜が鎌倉極楽律寺に伝承されたのが1350年代であります。1392年、南北朝が統一され足利時代は全盛期を迎えます。3代将軍足利義満が明の正使を迎えたのが1401年、その時、初めて茶礼を行いました。同3年には東寺南大門に一服一銭の茶店が出されました。北山文化、東山文化が花開き連歌会や茶会、能や猿楽が各所で頻繁に行われるようになりました。
エバレットさんは著書「失われゆく日本」の中で、東山文化こそが江戸時代と並んで生活そのものが文化だったとし、現代の日本人はこれを求めてやまないものだと述べておられます。
日本、今は昔ばなし。1573年、足利幕府は信長によって滅ぼされます。その9年後の1582年6月2日が本能寺の変であります。明智光秀はその時代の文化人でありますから茶会や連歌会に参加していたようであります。連歌の発句人として「雨(天)がした(下)しる五月かな」と謀反をにおわせる歌を残しております。明らかにこの時の会所は光秀の情報収集の場であったのでしょうね。
エバレットさんのご先祖はエリファレット・ブラウンというのだそうでペリー総督についてやってきた黒船時代の写真家ということであります。エバレットさんは当時の技法を忠実に再現、その作品の内7つをこの日展覧いたしました。
 展覧された写真の中にお祭りや盆踊りの場面がありました。「これいつの頃の写真かわかりますか」とエバレットさんが訊きます。江戸や明治ではないとは分かりますが、大正か、昭和か、平成か分かりません。かまどでご飯を炊いた時代から自動炊飯器に様変わりしている現代、にわかにタイムスリップできませんが、日本人の奥底にはいにしえを求めてやまないものが存在していることは確かであります。エバレットさんはこの心根こそが「日本のおもかげ」であり、まとめて「現代の中のいにしえ、いにしえの中の現代」ととらえておられます。私は茶道を多少嗜んでおりますが、普段は胡坐をかき、洋服を着て過ごしております。茶会に関わりますとこれが一変するのであります。お祭りもまたそれなりに伝統の法被やら、衣服を着て普段とは一変した格好で集う人皆が一体となることで盛り上がります。日本には何百年、千年以上続いている祭りも少なくありません。
 名古屋城をコンクリートから木造に建て替えようとする市民運動もまた、現代の中のいにしえを求める表れなのでありましょう。市民は「逝きし世のおもかげを求めている」。(エバレット)

                       
                 2018年11月23日
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