老人の主張29

             いよいよ最終章  人生のトリセツ その一

                            
        ななえせいじ
 
                                         
 長い間読者の皆様にはお世話になりました。私も今度の誕生日で83歳。ここらあたりでおしまいにいたしたいとおもいます。ここまでの数々の失礼の段お許しください。

夏が来れば思い出します。
 8月は自分人生で特別な月であります。
 昭和20年(1945年)8月日本は敗戦いたしました。その時、私は4歳と8か月。昭和21年3月、日本はアメリカ教育使節団の調査を受け入れ学制改革が行われました。すなわち6・3制と義務教育化であります。新潟の片田舎で私は新一年生に上がりました。2キロの通学路は厳しかったことは覚えております。国民は厳しい生活環境の下に貧しいながらも生き抜きました。
 今子供手当とかで政府はいかに少子化を食い止めるかということに苦心しているようであります。小学校に上がったころが思い出されます。あの頃、小学校の高学年生は幼児の妹や弟を連れて登校し教室の隅に預かってお守りしながら授業を受けたものであります。それは普通の光景でありました。今じゃ考えられないかもしれませんがこれこそが理にかなった教育じゃなかろうか。
 今に活用できないものかと考えるだけでも無駄ではありますまい。空き教室を活用して老人ホームを併設するとか、老人と子供が一緒になって子供は人生を学びお年寄りは生き甲斐を見出す。老齢化社会の現状、お年寄りの老化防止や医療費削減につながるだろう。ここらあたりにヒントがありそうです。公費で海外旅行を楽しんだ国会議員は将来を担う子供達のことをもっと真剣に考えてやってほしいのであります。
 今この制度持ち込めとは言いませんが保育園が足りないとか、保育園堕ちたと嘆くよりなにか解決策がありそうに思います。勉強以外に大切な人間教育が出来そうに思います。

これからの大学教育のこと。
 人口減の下での大学受験は過度期にあります。募集しても定員に満たない大学は縮小か閉鎖を余儀なくされています。女子大学にいたってはかなり厳しい状況にあるみたいです。大学同士が連携して独立法人を結成し学生の質を高め新しい特殊性を模索しているみたいです。学歴とは何ぞや、と受験生はしっかりと将来を見据える時であります。東大・京大ぐらいになりますと受験しただけでも箔がつくという日本的価値基準に捕われている時ではありません。堕ちても一目置かれる日本の社会基準がおかしい。この変な社会基準は日本でしか通用しない、ということを理解しておくべきであります。
 例えば日本のキャリア制度は東大閥で占められています。さながら同窓会であり金太郎飴状態。これが為日本は社会構造が硬直化していくように見えます。出世は早いかも知れませんが過酷な勤務状況に学生は敬遠しつつあるようです。加えてどこを向いても先輩後輩。頑張ったから報われわけでもない。人脈とか縁故とか実力以外の力が作用されるとあれば・・・それはもう違う世界へ行きたくなるでしょうね。知恵ある学生は海外に留学します。この異様な現象に学生は気が付いた。やりがいを無くした学生たちを呼び戻さねばなりませんね。現下の教育システムを変えねばなりません。
 ご安心ください、学生側から改革が始まっております。(勝手な意見で申し訳ありません)
 辛うじて民間企業の方が実力主義を保っているように見えます。
 競争を強いられている民間企業は市場規模の狭隘と国際競争を勝ち抜くためには柔軟な発想が必要です。最近は地方大学出でもトップになれる人事が目立つようになりました。民間企業は学歴よりも実力主義で登用する方向に変わりつつあるようです。
 たった高校3年間で人生が決まる現行制度では間違いなく世界に遅れていくでしょう。人生百年時代には柔軟な発想が必要です。労働の在り方も変わります。時間で働くから仕事で働く職場環境へと変わっていきます。この結果は職業選択の基準が何を仕事としたいかで決めていく学生の統一認識が定着します。さあ、くすぶっているあなたの出番ですよ

                  2023年8月16日
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