老人の主張30

             いよいよ最終章  人生のトリセツ その二

                            
        ななえせいじ
 
                                         
 読者をその気にさせる危険な評論
 IN 上のブログにとんでもない評論を見ました。表現の自由は保証されているがここまで言って「いいんかい」としばし思考が停止してしまいました。悲しいかな私には反論するだけの知識がありません。
 8月15日は終戦記念日であります。敗戦から78年。国民は生き残るために大変な苦労を味わってきました。こともあろうに日中戦争が必ず始まるだろうという諭調なのですから穏やかではありません。戦争を知らない世代が大勢を占める現在でありますから余計気にかかります。
 今国際情勢は複雑に絡み合いきな臭さが漂っております。日本は日本で軍備増強の予算大幅UPを先の国会で決めたばかりです。これが中国を刺激したのは確か。折しもウクライナとロシアの間でただいま戦争真っ只中であります。その他中東でもアラブでもアフリカでも内戦の火種がくすぶっています。むしろ地球上ではこれが普通のことなのかもしれません。
 さて、戦後78年が経って日本国民はどう変わったか。口では平和を唱えながら他人事のようであります。戦争にはアレルギーになっているはずなのに軍備費の大幅UPにあっさり賛意を示しているようであります。どこか心のどこかで戦う準備を受け入れ同意しているようでもあります。
 茶の湯の先達者利休は「降らぬとも傘の用意を」と教えます。利休の末裔鵬雲斎(裏千家15代家元)は一碗からピースフルネスを掲げ世界を平和行脚しておられます。こうしてみますと平和って学ぶもの?勝ち取るもの?与えるもの、唱えるもの?さりとて確たる定義もなさそうであります。
 私には静かな日常があればそれで十分であります。
 日中戦争が起こるとの予測は一つの見方かも知れませんが、国民への警告?こころがまえ?占いじゃあるまいし、当たっていようがいまいが心は騒いでおります。
 私には分かりません。

 日本には「憲法九条」という平和憲法があります。政治家はこれを変えようというのです。時の政権は「法による秩序」を国際世論に訴えておりますがその心は憲法改正の地ならしにあるのではないでしょうか。私にはそう見えます。
 皆さま、ありがとうございました。平和は対象がデカすぎて理解しにくい。幸せならばそれでいいのです。   おわり
                  2023年8月17日
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