ななえせいじのエッセー             
    
                          
       ななえせいじ
          日本今昔物語
         能登大地震に見る日本の今むかし
 

  
 
 
日本の成長期は終わった。あの能登の大地震で高度成長期を謳歌した60年前、すなわち東名高速道路が開通した1963年の頃の活力はない。私は23才で大学を卒業したばかり、さぞかし希望に燃えていたであろうとお思いでしょうが現実は全くその逆であります。同級生は皆良いところへ就職していったのに私は内定取り消しされた為途方に暮れておりました。やっと決まったところは大阪の食品商社。丁稚方向に出されたようなもの。今の学生ならば運転免許は必須条件。私はそれすら持っていない。仕事にならないからととりあえずオートバイの免許を取らせてくれた。今に思えばこの会社での仕事が人生の基礎になった。自分のアイデアが得意先に受け入れられ可愛がられたのである。しかしこれに満足せず常に上昇志向で職をいくつも変えた。東京にも京都にも岡崎にもいった。長い人生のわずか2年で私は改心して落ちついた。
 話が横路へそれました。すなわち60年前の日本は敗戦の屈辱と成長の活力とを併せ持ち誰にもやり直しができたのであります。自動車工場は人手不足、紡績工場も人手不足、列島改造論で高速道路敷設計画は目白押し。国民の生活レベルは年ごとに上がっていきました。
 マイホーム、マイカー、欲しいものはなんでも手に入る時代がやってきました。
 特にマイホーム。ニュータウンがあちこちに出現しました。私鉄沿線は当然です。特に私鉄は宅地を買い占め住宅に開発して分譲、そして満員電車で通勤した。マイカーもステータスになった。おまけに大きな駅前には百貨店。消費も伸びて日本経済は潤い拡大していった。つまり日本経済の仕組みは互いにつながり欠くことが出来ない仕組みに出来上がっていったのです。
 能登の大地震にかこつけて言うわけではありません。あの惨状を見てこの仕組みの限界がとうに来ていたのだと悟ります。変わらないのが政治の仕組み。そもそも一党独裁に無理があった。政策が悪いというのではありません。それを許してきた国民にもあるのではないか。今国会は政治資金規正法問題で揺れております。能登の地震に匹敵するくらいに揺れております。とまあ老人は無責任に思います。
 さて老人よ、忌憚なく何に気付いたというのですか。
① 人口減。そんなことはすでに指摘されており知らない人はおりません。問題は、人間の病気に例えれば不治の病だということであります。この先人口が増える兆しはありません。
この影響は多方面に及んでおります。ローカル線やバス路線の廃止、デパートの閉店や縮小、深刻なのは廃屋や空き家の増加。学校の廃校、大学は生徒が集まらなくて閉鎖又は縮小を余儀なくされております。過疎地が増え、老人所帯ばかりでしかもン独居老人が目立ちます。買い物難民、通院難民が社会問題になっております。
成長の過程は終わりこれと引き換えに負の遺産が国民にのしかかり、只今日本の借金は1286兆円とか。
② 縮むばかりではありません。増えた部分もあります。コンビニがいい例。企業の内部留保も史上最大の規模とか。円安で外国人旅行者が増えている。株価も海外資本が買いに入ってバブル期越えとか。
ちょっと先は闇夜でありますが堅実な日本人は長かった低賃金に苦しめられた思いを活力に変えつつあります。頑張れ日本。
                                  2024年2月12日
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